鉄を用いて、モノを作り出すことを指します。
“刀鍛冶” からはじまった島田の鉄工業。
時代にもまれながら、人々の生活を支えるために現代まで発展を遂げてまいりました。
そんな島田の鉄工現場では、
その道を極めた『鉄職人』たちが、鉄と共に輝いているんです!
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  • 鋳造
  • プレス
  • 溶接

「鉄の工房」、そしてものづくりIron’s Factory

島田と鉄工の歩み

はじまりは五条義介の「刀鍛冶」であった。

動乱の時代、島田宿には「刀鍛冶工房」が点在していた。太平の時代には、鍬(くわ)鎌などの農具を作るまちの「鍛冶屋」として人々の営みを支えた。明治の新しい時代は、「機械鍛冶」として大井川流域の地場産業を支えた。それは流域の無尽蔵の森林が、上流から搬出され、島田に集積し「丸太」として全国に出荷していたからであった。明治の終り、アメリカからの最新式「帯鋸」機械の登場によって、丸太は加工材へと変わり、機械鍛冶は「機械製材」へと変わる。折しも牧ノ原台地の開墾によって生み出された「お茶」製造が新生日本の主要産業へと成長し、島田宿の「鉄の工房」は機械製造集団として日本産業の中軸を担うこととなる。

しかし、不幸な戦争は流域で培われた技術を戦場に浪費した。戦後、建築分野を中心に島田の鉄工業はいち早く目覚める。島田市制が敷かれ、「木都島田」が宣言され、お茶の町と共にそれらを製造する機械産業は洗浄機をはじめとするあらゆる産業機械の分野に大きく展開する。

昭和30年代「島田鉄工協同組合」が設立され、鉄材の共同購入をはじめ技術研修や会員の親睦など業界は近代化への道を歩む。しかし、その後の歩みは決して平坦ではなかった。オイルショックなどの景気変動、そして何よりも「車社会」の到来による産業構造の変化が島田の鉄工機械産業の発展をさらに進める。日本の自動車産業を支える主力部品メーカーの進出が相次ぎ、さらに技術革新はより精密で、より他分野な方向を開いていった。

島田の鉄工業界は極めて柔軟に対応する技術能力を備えていた。そこには「鉄の工房」により「ものづくり」の原点がある。「鉄工」への情熱がある。「島田刀鍛冶」以来数百年の伝統が、今、更なる未来を創造しようとしている。